弁天様の御縁
木彫りの弁天様
織田廣喜画伯・画
2003・07・07
杉並家の床の間に、玲子さんのお母さまが「玲子に似ている」からと、玲子さんに下さったという木彫の童顔の可愛い弁天様の御像が、その日も、置かれていました。
おつむに、シンボルの蛇の冠をつけられた水の神様。
【織田先生は、その弁天様をご覧になられると、水彩で色紙に描かれました。その色紙絵の前で、楽しんだ七夕の宵のことを書いたこの文【弁天様の前にすわっていた私たちは、なにか不思議なあたたかさ、やわらかさ、優しさ・・・
真綿の布団に包まれるような・・・雲のふわふわふとんの中にいるような気分になっていました。】
この思い出の心の中に写される動画には音楽が流れてきます。子守歌のメロディーです。
その時の情景が、書かれています。織田廣喜先生の七夕の思い出に読みます。
【その時、私たちは、知らず知らずにこどもの心になっていたのです。そして、誰が歌い始めたのか覚えはありませんが、あの懐かしい子守歌を口ずさんでいました。「ぼうーやは~よいこーだ~ねんねしな~」という子守唄を、気分に合わせて適当に歌っていましたら、織田先生は「『おかあさん』ということばをきくと、なんだか涙がでるねー」と。そして「おかあさんという言葉のはっている歌があるでしょう。その歌を聴いただけでも涙がでるねー」と言われました。
絵を描きながら、私たちの心と一緒になっておられたのに気づいた私たちは、その後「おかあさん」という歌詞のある歌を、次から次に思い出して歌いました。
それを聞かれて織田先生は、また「『おかあさん』という言葉をきいて涙がでるのは、お母さんがいない人だからかねえ」と呟くように言われました。】
そこにいた人の中で、歳を経ていた織田先生と私だけが、母が、いませんでした。
【なながつのなぬか。7・7と続く、水のかみさまとの「ご縁」の月と日。
水という命の根源を心して、「ありがとう」と祈る月と日。
地球の成り立ちを、科学の学術の研究で、今のようには知らなくても、古来から大切に尊く思い、言い伝えてきた御先祖の心を改めて思う七夕の日です。
「お水」が清めに使われて、心の穢れを洗い、星空に思いをはせての七夕のまつりは、素晴らしい御先祖さまの贈り物。
母の懐に抱かれる心地して、7月の月はじめに取り上げました。
2006年07月02日】
(HP No051・P05)
織田廣喜画伯・画
2003・07・07
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