はじめに
ゆきあいのえにし・・・


「小さなうつわのメッセージ」の「五十鈴プロフィール」に載せた画像の紹介文。【織田廣喜画伯に描いていただいた私の2枚の色紙絵です。左の絵は10年ぐらい前、先生のお宅に伺った折に描いて下さいました。】
次の絵は【2003年、奈良にいらっしゃった折に描いて下さった、先生の直感のイメージなのでしょう。勿論、私は着服していました。そして70歳です。チラリと私をご覧になって描かれた絵です。その時、何人かの方がおられて、次々とそれらしい着服姿の似姿を描かれておられたと思います。】
【この絵を見て、何かあれこれと考えれば、考えられるでしょうが、私は一切何も考えていません。私というものではない、先生の心の絵として戴きました。】
社会的な履歴を何ら持たない、ただ主婦業を勤めてきての私の人生は、「ゆきあいのえにし」によって結ばれ、綴られてきた日々の流れだったと思います。「小さなうつわの会」の結び目のひとつの稲本玲子さんとの「ゆきあいのえにし」は、アメリカのコロラド州デンバーでの玲子さんの「太郎ちゃん預かるわよ」に始まりました。(No507・P08)
当時、東京在住だった私は、油絵を描かれる玲子さんの所属する二科会の織田廣喜画伯のご自宅に行かれる玲子さんのお供をすることになり、織田廣喜先生にお目にかかり、奥様のリラさんにもお目にかかりました。リラさんは、寝室兼アトリエ、又、客間でもあり、居間でもあるお部屋の窓を背に、車椅子に腰かけて居られました。

松尾孝司著「織田廣喜聞書」『絵筆とリラと』という著書に、その頃のリラさんについて記されています。
【14年前に、くも膜下出血で倒れたリラは、幸い生命は取り留めましたが、いま植物状態です。何もできませんが、命さえあれば、ありがたいことです。】
この14年前とは、昭和58年1982年です。

『絵筆とリラと』の御本を戴いた時に、表紙の裏に織田廣喜先生は、その日の、その時の私の姿をスケッチして下さいました。記憶は定かではないのですが、銀座での先生の絵の展覧会だったように思います。
帽子を被った一寸お洒落の外出姿です。懐かしい思い出の絵です。
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