写佛の旅
平成10年1998年5月20日、織田リラ様は、御他界されました。織田廣喜画伯の84歳の時でした。そして、平成14年、2002年の5月、「小さなうつわの会」での企画、織田廣喜画伯に、リラ様のご供養のお詣りをかねての奈良の仏像を描いて戴くという案を先生は喜んで下さいました。東京駅でのお迎え、そして、京都までの付き添いの役は五十鈴。
このことを思い付かれ、企画された田辺和子先生は、名古屋駅から同乗。稲本玲子さんは、この企画に沿って寺院との連絡準備をされ、お詣りする寺院に写佛の許可を戴き、当日、京都駅にお迎え。そして、まず、京田辺にある観音寺に直行しました。
京都駅から奈良に向けての走行中、突然の豪雨、強風・・・。そして、京田辺の観音寺に、自動車が着くと同時に、風雨は治まり、空は晴れ、お日様の光が、濡れた木々の葉をきらきらと輝かせました。そのお日様の光の中から、薄暗い観音寺のお堂の中に入り、織田廣喜画伯とご一緒に、11面観音のお詣りをさせて戴きます。その後、織田廣喜画伯は暗いお堂の中で、11面観音を描かれました。その時のことを書いた文がありました。

京田辺 観音寺十一面観音像

織田廣喜画・水彩画
【観音寺のお堂の中は薄暗く、その中での織田廣喜先生は、光を求めて観音様を描かれていました。この時の先生は、この薄暗さの中だからなのでしょうか、11面観音像の下での憐れさ愛らしさを感じさせる童子のような先生の懐かしい、いとおしいお姿に思えたのです。】
その時の感想文と織田廣喜画伯・【十一面観音立像を描く】。(No366・P10)

薬師寺・聖観音立像

織田廣喜画・水彩画
続けて薬師寺の観音様。薬師寺の当時の松久保秀胤(まつくぼしゅういん)管長様に聖観音像の前で、観音様のお話を織田廣喜画伯にしてくださいました。明るい御堂の中で、聖観音像の前に坐られて画伯は描かれました。
【薬師寺・聖観音立像を描く】(No365・P08)
次のお寺は、大和郡山にある東明寺(とうみょうじ)でした。東明寺にうかがう前、織田廣喜画伯は、小さなうつわの会の集まりの折に、いつも色紙絵を寄付して下さっていたその感謝に、竪琴「ルナ・ライヤー」を気に入って下さったら御贈りしたいと用意しておりました。
その時のことを書いた文【先生が絵を描いていらっしゃる後ろで、ルナ・ライヤーの弦に触って音をだしますと、先生は、その瞬間、すっと後ろを振り向いて、目をぱっと開けて「きれいな音」と云われました。「もしよかったら・・・」と申し上げますと「いやいや・・」と遠慮されていましたが、気に入っていただいていることはたしかでしたので、差し上げることにしておりました。】(No051・P03)
≫ 当『小さなうつわのメッセージHP(山梨版)』のURL(https://awa.rgr.jp.wiki.cgi)(別窓で開きます)
≫ 新『小さなうつわのメッセージHP(館林版)』(https://tiny-pot.com/)(別窓で開きます)

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