晩秋に思う思い出
この晩秋の季節には、なぜか昔を懐かしむ心が、思い出を誘います。
夫の勤務先が山梨になり、山梨に住むようになって18年になります。
山梨は、私の母の故郷です。そして、母方先祖は、代々、山梨でした。
私が山梨に住む前の事です。ある神社での朝の坐業に参加していた時の事です。
その神社の宮司様から「山梨の御先祖のお墓参りをなさい。」とお言葉を戴きましたので、早速、山梨の母方先祖の祖父母の墓、曽祖父母の墓、更に遡っての、御先祖様の墓詣りをさせて戴いたそのすぐ後のことでした。
夫が、山梨の大学から呼ばれたということを話したその日は、亡き母の誕生日でした。
縁あっての人生、縁あっての今生と思います。そして、その御縁を戴いて生まれてきた私も、そろそろ旅立ちの齢です。ちゃんと、お勤めをちゃんと果たしたかしらと思うこの頃です。私の今生戴いたご縁から思うと、まず、大きな出来事は、母の夫に対する不信の心から生じた心の病の精神分裂症になったという事でした。
その母の病気から生じた家庭崩壊の中で私の歩んだ人生は、舗装された道ではなく、荒れた道を歩く日々でした。今思えば、その多くの苦難困難は、私の心を育てて下さった神様からの贈り物でした。其の後の私の人生に、障害をもたれた方々との御縁を戴くための、心の土台造りだったと思います。
懐かしい思い出は、晩秋の秋の実りの柿が誘うのでしょうか。
幼い頃の我が家の庭にも、何本もの柿の木が植えてありました。そして、美味しい柿が実るように、父は下肥を柿の木の根の傍に埋めていたのを、小さかった私の記憶にしっかりと残っています。
89年という歳月、この世を歩んできた私の旅立ちの日も間近いと思い、多くの御縁を戴いてのお導きを思い出して、感謝を申し上げております。
まず、1972年の5月18日、マリア様のご縁の月の観音様のご縁の日に、アメリカのデンバーで、視覚障害をもたれた方とのご縁を戴き、帰国後、誘われるように障害をもたれた方々に次々とご縁を戴いた今生でした。
山梨に住むようになり、甲府の甲斐奈神社のご縁を戴き、日本の神様に関わる「倭姫、33ヶ所の神社」のお詣りをするようにとの御詞を戴いた折には、そのお詣りをさせて戴く為の案内役の方が、用意がされていた不思議な事がありました。
それと、アメリカでご縁を戴いた稲本玲子さんは、御先祖が日本の歴史の地に縁のある方で、「倭姫、33ヶ所の神社詣り」には、案内をして下さいました。
稲本玲子さんは、富士聖ヨハネ学園とのご縁の集まりには、始めから協力をして下さいました。そうしたご縁の結びによって、「小さなうつわの会」は生まれて、「小さなうつわのメッセージ」を綴っていきました。
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