超作

1972年、アメリカに行く前の事でした。私のカトリックの洗礼の折に、代母をして下さった柴田美枝子様に、東京の吉祥寺にある玉光神社での毎朝瞑想に誘って戴きました。その神社の宮司、本山博著の『人間はどこから来てどこへ行くのだろうか』という著書が私の書斎の本箱にありました。秋の風情から、そろそろ帰天の「時」を思い、久し振りに、この本を開きました。
『霊界からこの世へきて霊的成長し、この世から霊界に帰る』と題された文です。
【常世(とこよ)は、永久に変わらない死後の世界です。古くは「常夜」とも表記した。】
常世(とこよ)の対義語は「現世( うつしよ)」です。そろそろ、私はその常世(とこよ)に行くことになりますが、その前に、現世(うつしよ)「この世について」を読みます。
この世は、物や身体、他人の心のお陰で、或る状態に落ちていることから離れやすい。
そして精神的成長や霊的成長がしやすい。神はその被造物である人間に、霊界からこの世に帰って精神的、霊的成長の機会を与えて下さっているのだと思う。
もし霊界で愛、智慧、自由、創造性に目覚めた魂は、この世におけるよりはるかに早く霊的成長ができ、神との一致、悟りの世界に達することができるが、それができる魂は稀少であって、一般の人間や魂は、何千年、何万年の間はあの世とこの世の往復を繰り返すのである。
精神的・霊的な成長の為に、何千年、何万年の間、あの世とこの世の往復をして、現世に生を戴いた今生です。その今生で学ぶ、精神的・霊的な成長の為の「超作」ということについて、書かれている文です。
自己否定をし、自己を超え、結果に執われない「超作」は、常に神によって支えられ、神によって神のところへ引き上げられる契機をもった行為である。この「超作」を日頃の日常生活において行なうことによって、人は自然に神の世界、魂の世界に目覚めることができる。
夢中になって我を忘れ、行為そのものになって目的と一つになり、結果に執われない行為をすることは難しそうに思えるが、誰でも日常の生活の中でできることである。
そうすることによって、自分の利益のみを追う小さな自分が何時の間にか否定され、なくなって、神のカと愛を感得し、魂に目覚めるのである。
その時、良心が目覚め、愛の力が働き、人びとを助け、社会をよくするために、社会を成り立たせる力と愛が全身全霊に漲り、働けるようになる。
このような人びととが増える時、平和な、豊かな、良心と愛に満ちた地球社会が実現すると思われる。そして各人が、人間は身・心・霊よりなる―全体的存在であることに気づくであろう。
それが、人間の真の在り方である。
人間の真の在り方は「夢中になって我を忘れ、行為そのものになって、目的と一つになり、結果に執われない行為」。「自分の利益のみを追う小さな自分」, 「自己中」の自分が、「超作」によって何時の間にか無くなり、神様の「カと愛」を戴いて、人としての真の魂に目覚め、この世で真に生きることができる、と書かれていました。これが、「現世」うつしよに生きる「命」の有様(ありよう)です。
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