ゆきあいのまつり(七夕)
星の契りのたなはた(棚織機)の
はた(織機)かけ(棚)つくりほしあい(星合)の
こよい(今宵)織りまつ おりひめ(棚織姫)の
みもとに渡るひこぼし(牽牛)の
前によこたう天の川
翼ひろげて かささぎの
こころやさしき橋渡し
いにしえの伝えしひとの こころねに
ふれて 笹ゆる ゆきあい まつり
2006年7月2日 (七夕に)(HP・No.51)
思えば、織田廣喜画伯とご一緒に遊んだ「七夕」の夜は15年も前のことになります。
今は亡き織田廣喜画伯と過ごしその七夕様の夜のことは「小さなうつわのメッセージ」2013年7月7日(HP・No.417)に記載致しました。その時の文を読むと、タイムスリップして、稲本さんのご実家の大和郡山のお庭で、一本の線香花火を囲んで楽しんだ七夕の日のことを思い出します。
【線香花火の一本のまばたくような光のその燃え滓が「ぽっ」と暗闇の中に消えていく姿から「ほんの」の時を知り、幼子の心になって織田廣喜画伯と共に遊んで「とわ」を教えて戴いた七夕の宵でした。】「ほんの」の時を思い出します。
織田廣喜画伯は、2012年5月30日に天に召されました。
次の文は、中田淑子様の「七夕の思い出」を綴られた文です。
【2003年7月7日、今は亡き織田廣喜画伯とご一緒に、大和郡山の杉並様のお宅で七夕様の夜を過ごさせていただいたことを今思い出しております。
画伯はお母様の思い出をとても懐かしそうにお話してくださいました。そしてお母様のことが大好きだったことがその優しいお言葉からうかがえました。
私は、母よりもどちらかといいますと末っ子で父が歳をとった時に生まれたことで、私を目に入れてもいたくないくらい可愛がってくれましたため父のほうが大好きで母とは何となく確執がありました。そのことを織田先生にお話ししたことを思い出しました。
その時、織田先生が「お母様に謝りなさい」と諭してくださったのです。
お陰様で、私はあの日あの時、本当に母に申し訳なかったことを心から詫び、そして今までのいろいろなことに感謝の気持ちが湧いてきて、母に対する気持ちが変わってきました。あの七夕様の夜は、私にとって大きな戴き物を授かった夜だったのでした。
そしてあの夜、そこに居られたみんなが子供にかえって、花火をしたり、歌を歌ったりして何か不思議な光に包まれて、夢のような時間を過ごさせていただきましたことを今改めて思い出しております。
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