はじめに
小さなうつわの会のご縁の日
小さなうつわの会は、1978年マリア様の月の5月の観音様のご縁の日の18日に、聖母マリア様にお祈りをして始まりました。それはその5年前の1973年の5月18日に、アメリカ・コロラド州・デンバーである出来事があってのことでした。
そのマリア様の月の観音様のご縁の日に『The love of Melting the eabil』(罪を清める愛)というお詞を私の頭上から戴いたのでした。其の事を記した文です。
5月が聖母マリア様の月・18日が観音様のご縁の日とは、全く知らずにでした。
デンバーの空は青く高い。日本の少し桃色かった空とは違い、5月の光が一直線に木々の葉に注ぎ、鮮明な緑に輝くこの日の朝、小さなうつわの会の物語が用意されていました。
帰国前のことです。アメリカの友人達に贈る感謝の「DIFFERRENT」と題した文の最後のまとめを、聖母マリア様への信仰と観音信仰とを比較して書いていました。
日本人的な信仰心の幼子のような素直な心で、抽象的な美意識の想像の観音像の前に坐り祈る姿と、聖母マリア様の神の子キリストの母への信仰の導きの内容を文にまとめようとしていたその朝のことです。
娘は、隣家のライラックの垣根の花を1本、お断りもせずに、折って戴きました。
それは、転校したばかりの娘が、クラスの子とお友達になりたくて「何かを持っていき、皆の前でそれについてお話をする」というクラスの決まりから思いついてのこと、(お隣りの垣根のライラックを持っていって・・・)と、一枝、黙って折って採ってしまったことに始まったその日は、5月18日でした。(作品集『ライラックの垣根の家の物語』)
娘が黙ってお隣りの垣根のライラックの花を一枝折ったその日、私は(罪を清める愛)『The love of Melting the eabil』を戴いたのでした。その時私は43歳、今は88歳です。生きて生かされてきた日々を振り返り思います。1973年5月18日にご縁を戴いた隣家のライラックの垣根の家の住人は、聾唖という障害をもたれたご夫妻でした。
そして其の後、私は障害というこの世の試練を戴かれた方々とのご縁に導かれた人生でした。その導きの事は「小さなうつわのメッセージ」と題した文集に感謝の心を綴らせて戴きました。
≫ 当『小さなうつわのメッセージHP(山梨版)』のURL(https://awa.rgr.jp.wiki.cgi)(別窓で開きます)
≫ 新『小さなうつわのメッセージHP(館林版)』(https://tiny-pot.com/)(別窓で開きます)
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