死を超えて
『キリスト者になろう』に「死を超えて」と題しての文がありました。
「神は死者の神ではなく、生きているものの神である。
すべての人は、神において生きているからである。」
「生」とは、「死を超えての生」ということなのでしょうか。続けての文です。
すべての人は、神において生きている、
よくわかります。
神は生きている者の神でいらっしゃいます。
生きている者の神を強調していることが、よくわかります。
いま、こうやって話している私たちは、
神さまのことを話し合っています。
私たちが神さまのことを話し合っているのを
神さまは、喜んでくださると思います。
死んだといわれる人々も、復活を待っている人といえます。
そういう意味では、復活を待つ、という人々も神を信じています。
死者といわれる人々の霊魂は生きています。
そう信じたら良いです。
「死んだ」。「すべてが終わり」。
と思う人は、それ以上話すことはありません。
死者の復活を信じる人々は、多く話し合うことができます。
この文を読み、私の心に、しっかりと、おさめた言葉は、
【私たちが神さまのことを話し合っているのを、神さまは、喜んでくださると思います。】
【死者といわれる人々の霊魂は生きています。】
【死者の復活を信じる人々は、多く話し合うことができます。】
10歳の時に母に死別した私の心は、成長期の頃は、いつも「母」を求めていました。
澤田神父様の「わたしについていらっしゃい」に始まる「わたくしは、しあわせものです」の一言をお聞きしたその瞬間に、私の10歳の時から心に刻みつけていた母の無残な最期の死姿が、光に包まれて消えたことを思い出します。
【死者といわれる人々の霊魂は生きています。】
そして、【死者の復活を信じる人々は、多く話し合うことができます。】
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