おわりに
飛鳥にご縁を戴いて・・・
時は1971年に遡ります。所は、アメリカ・コロラド州デンバーです。
コロラド大学医学部に学ぶ、又は、勤める日本人医師の家族会で、稲本玲子さんとのご縁が始まりました。私は渡米してすぐの時でした。2歳の息子太郎を連れての家族会参加でした。その時、何年か前に渡米されていた稲本玲子さんとのご縁が始まりました。アメリカの生活には、すっかり慣れておられた玲子さんは、子供を連れて英会話学校へ通う私を知ると、その翌日「太郎ちゃんあずかるわよ」と、家を出る私の前に現れて、それから続くお付き合いとなりました。
そして、帰国後も・・・そして今もなお・・・、数えると46年となっていました。
玲子さんは、日本の歴史の舞台となる奈良県飛鳥、大和郡山、京都府丹後と、御先祖様が代々住まわれ、また、ご自身も子供の時は飛鳥に住み、ご先祖のお墓もあるとのことです。ご実家は、大和郡山です。そこにもよく連れて行って下さいました。
日本の古代の歴史の勉強に、子供たちを飛鳥に連れて行っても下さいました。
玲子さんとの出逢いには、玲子さんのご先祖様が、「飛鳥にいらっしゃい」と誘って下さるご縁の糸が結ばれていたのかも・・・とも思いました。
玲子さんとの出逢いから、日本の由緒ある古から伝わる神社のお詣りは、飛鳥の地から始まりました。お詣りをさせて戴いて思うことは、神社を守り伝えてこられ、更に時代を経ての仏教文化の流入からの数々の仏像、仏閣、寺院等からも、この国のご先祖様方の素晴らしい心を感じさせて戴きました。特に飛鳥での文化遺産からは、御先祖様方の深く温かく注いで下さる光明のお光を感じたのでした。
小さなうつわの会は、1978年5月18日に、視覚障害をもたれた津友子さんと、知的障害を持つ子等の心のご縁を戴いて始まった会です。
その5年前の1973年5月18日、アメリカ、コロラド州デンバーで、聴覚障害をもたれたご夫妻から、両腕に抱えるほどのライラックの花を戴いて、戸を開けて家に入ろうとしたその瞬間、私の頭の上から「Melting evil the love」(罪をとかす愛) という言葉が聞えてきたあの時のことは、今でも忘れられません。
そのライラックの花とのご縁の結ばれたのは、44年前の44歳の私でした。
それから44年を経ての今年、2017年の4月、飛鳥は桜の花が満開でした。
その花を眺めた私は、88歳。
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