おわりに
「めおと」
如月 雪消月 初花月から
弥生 花月 禊月 夢見月と衣替え
三月三日は桃の節句のお雛まつり
ひなまつりは女の子のおまつり
対の男の子と女の子
女の子に光が当たるとき
男の子は空のひろがり
お雛祭りには 男の子をご招待
2006年の2月26日、小さなうつわのメッセージに掲載した表紙絵と文です。
【この世は男と女、男あっての女。女あっての男。そして縁あって夫婦となり、子をつくり育て続けるということはなんなんでしょう。】
「ひなまつり」は、私にとって大切な日でした。1978年の3月3日のお雛祭りの日に起きたことから、「小さなうつわの会」が生まれました。そして、この歩みの中に【母は生きていた。母の灯した「あかりをつけましょ ぼんぼりに・・・」の蝋燭の炎は消えてはいなかったのだ。】と、書きました。そして、「お雛祭りには 男の子をご招待の後に【We invite boys for “THE HINA MATURI FESTIVAL ".】と書き入れました。
そろそろ、今生のお勤めを終えて、旅立つ齢の私です。「小さなうつわのメッセージ」は、私に戴いた今生最後のお努めと思うこの頃です。
今回、お雛祭りを綴りながら思うことは、「めおと」というこの世に生を受けた者の有様でした。私の今生の心の根は、この世の有様の土に植えられ、育てられました。
その土壌は日本でした。この日本国の「戦争」という時代に育ち、「敗戦」。
そして「戦後」の厳しい時代は、青春期。成人した頃は、高度成長という時代でした。
人生あれこれと味わった物語りも、そろそろ「完」です。
以前、母から娘への贈り物として「いろは歌」のことを記しました。
【狂わなければ、伝えることの難しい厳しい死姿。
狂ったから伝えられた母の「無為」の愛のお姿。
私の10歳の頃でした。母の入院していた精神病院のお庭を歩いていた時、病院の鉄格子の窓越しに、お母さまのお歌いになる「いろは歌」が聞こえてきました。
そして「有為の奥山今日越えて・・・」というお歌のコトバが、その時のお母様のお姿とともに心に残りました。
青春を経てのある日、私は「無為」という「コトバ」を聞いて「有為」に心しました。
そして、母の私への遺言だった「いろは歌」を思い出しました。様々な苦難の人生を経た後の私の心に、やっと「有為の奥山今日越えて・・・」が、心に伝わりました。】
そして、亡き母への感謝のコトバを記しました。
【純粋の愛を求めたお母様は、煩悩の苦しみを経た最後に、神様の愛の懐に抱かれたのですね。あの精神病院の床に転がされるように置かれた、襤褸を纏うお母様の餓死された死姿の謎は解けました。この世の幾重かの苦しみを越えての悲願の末に頂ける神様の愛。お母様の死姿の後ろには「母なるお方」聖母マリア様のお姿を拝します。
そして聖母マリア様は、キリスト様の十字架の下に私を導いてくださいました。
その後の最後の文です。
【「小さなうつわの詩」は、お母さま、あなたへの贈り物です。
小さなうつわは 今は神様のおそばです
神様の大切なものをいれるうつわです
小さなうつわは見えますか
ええ、見えますとも 透き通っているから
私の心は、いつも、透き通った小さなうつわと一緒にと祈ります。
≫ 当『小さなうつわのメッセージHP(山梨版)』のURL(https://awa.rgr.jp.wiki.cgi)(別窓で開きます)
≫ 新『小さなうつわのメッセージHP(館林版)』(https://tiny-pot.com/)(別窓で開きます)
お問い合わせ等はメールにてこちらまで。
このサイトの内容のすべて又は一部の無断掲載や無断引用や無断印刷や無断配布を禁止します。また内容の編集・追記・改ざん・改変・一部削除等をしたものの引用や掲載や印刷等も禁止します。
また、このサイトの内容のすべて又は一部の掲載や参照や引用の許可は、内容の性質上、各頁の枠単位ごとにすべて別々に許可申請が必要となりますので、予めご了承願います。
各ページの著作権は、それぞれの原作者に帰属します。
【注意】 このサイトのリンクの登録は必ずhttps://awa.rgr.jp/wiki.cgiでお願いいたします。
(各頁への直リンクは構いませんが、更新の都合で予告なく各頁のURLが変更されます)
リンクを登録するときは、
こちらのバナーをお使いください。
Produce by FULTAIP.
0002536
+10,000,000 OVER(2021)