続・三(みっ)つのり
続けて稲本玲子さんとの「縁(ゆかり)あって出会い交わり、廻りあって重なり深まり、理(ことわり)あって正され高められ・・・」た、そのご縁です。
1971年、アメリカのコロラド州デンバーで、医学の勉強の為に滞在されていた先生方の家族の懇親会。そこで、京都から来られていた稲本玲子さんにお目にかかります。
玲子さんは、すでに数年前からアメリカに来られていて、アメリカの生活に馴染んでおられ、アメリカに着いたばかりの、2歳の息子を抱えての英会話の学校に通う私のことを知ると、即座に「太郎ちゃんを預るわよ」の一言でした。それがご縁の始まりです。そのご縁は帰国後も続き、そろそろ50年になる今もなお・・・です。
帰国後のことです。1978年5月18日に始まる「小さなうつわの会」の山梨の忍野でのお集まりには、稲本玲子さんは関西のお友達も誘って来て下さいました。
「小さなうつわの会」の最後の「集まり」は、玲子さんのご実家のある「大和郡山」でさせて戴きました。
視覚障害を持たれた織田津友子さんと知的障害者の陶芸作品の出会いに始まった「小さなうつわの会」ゆえに、大和郡山市に隣接する唐招提寺、盲人の鑑真和上の所縁のなくなられた特別の日に合わせての感謝の集いでした。(HP No412)(HP No413)
そうしたご縁を戴いた稲本玲子さんの御先祖様についての紹介文です。
【「かみさまほとけさまごせんぞさま」と題して、自分の存在を御先祖を通して見直してみようと思いついて3ヶ月たちました。・・・今回の執筆者の稲本玲子さんです。
1971年、アメリカのデンバーで出会ってから後の30数年の間、ご縁は切れることなくお付き合いをさせていただいております。・・・
玲子さんの御先祖様は、日本史上にかかわりがある地の飛鳥や丹後に居られたので、以前に、玲子さんと御一緒させて戴いて、由緒在る御先祖の家の建物や家伝の品々などを拝見させて戴きました。その時、一人の人の命の繋がりを思って、その先祖代々という重さを、ため息が出るほど感じたことがありました。
飛鳥や奈良の古えは、国際都市だったと聞きます。昔から朝鮮、中国をはじめ、南からも海を渡り、またそれぞれが混血の血筋をもち、それぞれの土地の文化を持って来られ、その方々は、日本の国づくりに貢献されたことでしょう。日本という島国に縁あって住みついて、子孫を産み育て、この地を故郷として「〜大和は国のまほろばたたなずく青垣山ごもれる大和しうるわし〜」と思い、生き、その血は混じり、私達にも伝わっていることでしょう。
大和民族、神国日本と教育されてきた世代の者として、粉飾した日本ではない、本当の「やまとしうるわし・・・」の国に思いを向けて、次代に受け継いでもらえるようにと思うのです。
そのやまとの願いとは、聖徳太子の悲願「和」という心ではないかと飛鳥や奈良に行くと思うのです。】
≫ 当『小さなうつわのメッセージHP(山梨版)』のURL(https://awa.rgr.jp.wiki.cgi)(別窓で開きます)
≫ 新『小さなうつわのメッセージHP(館林版)』(https://tiny-pot.com/)(別窓で開きます)
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