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澤田和夫神父様に始めてお会いした日

 丁度訪問をした友人の部屋から廊下に出たところで、薄暗い全生園の廊下を歩いてこられた神父様のお姿をした方にお目にかかります。その時のことは、「澤田和夫神父様に始めてお会いした日」と題して書きました。(HP No259)(P07)

 そこは、国立療養所多摩全生園という「ハンセン病」の国立療養所でした。
 ここの薄暗い廊下で、当時山谷におられた澤田和夫神父様に、始めてお目にかかります。ご挨拶も、自己紹介も、この世の常識は全てなし。澤田神父様は、暗闇の廊下で、ただ、「わたしについていらっしゃい」とだけ言われました。
 私も「はい」とだけ申し上げて、澤田神父様の後について行きました。
 暗い廊下を通り過ぎ、光の入る廊下を経て、ある病室にはいりました。

 そこには、1つだけベットがあり、ひとりの肺炎にかかられたという老人がやすんでおられました。澤田神父様は、お声をかけられ、「お友達をおつれしましたから、何かお手伝いすることがあればどうぞ。」と言われて私を紹介してくださいました。
 その方のお体は、長い人生にお手もおみ足もお顔もくずれて、小さくなっておられました。その上、目も見えずただ、聞く耳と、かすかにかすれたお声をお持ちでした。
「いま、シスターがまわりの事は片づけてくださいました。でも、お願いしたいことは・・・私の話を聞いて下さい。」とお答えになりました。

 私は「はい」と言ってベットに近づき、寝ておられる横に立ちました。
 その方は、それに気づかれて、静かにお話しになりました。
「私は、体が不自由なので、寝返りをすると、ベットから落ちることがあります。
 でも、ありがたいことに・・・怪我一つしません。
 いつもマリア様に守っていただいているのです。
 そのことのお礼申し上げたいのです。
 一緒に祈ってください。」

 今も、いつも、その時のことを思い出すと涙が流れます。
 その瞬間、その部屋の中が金色の光に包まれたと感じました。そして、涙がこぼれて、止まりませんでした。神父様は無言で立っていらっしゃいました。
 その方の枕元には、祈りの熱さを感じさせる赤い色をしたロザリオが置いてありました。ところどころ剥げてくすんだ色は、祈り、つま繰る数の多さからなのでしょう。
 そのロザリオをつまぐるお指はくずれていました。

【私はこの時、瞬間のことでしたが、長い間私の心の奥底に秘めていた映像が、その部屋の光に包まれたのを観たのでした。
 その映像は、12歳の時に見た、母の死姿でした。】
 その母の死姿について書いた文です。

 昭和16年12月8日、第二次世界大戦が始まりました。父は軍属の重要な地位だったことから、当時、軍の命令で、郊外の人に知られない精神病院に、精神を病んでいた母は収容されました。そして、更に戦争が激しくなり、東京の空に敵機が飛行してきて爆弾を投下するようになると、精神病の母は戦時には不要のものとして、動物園の大きな動物達が、猛獣処分で殺されるように、餓死という死が、軍部から命じられました。
 私より10歳上の学生だった長兄は、父には内緒で自分の血を売り、そのお金で、母の好きな寿司を差し入れをしていたことを、私が大人になったある日、母の最後の頃の思い出の話をしてくれました。
「お母さんは死ぬ時は正気で、『ありがとう』と感謝の言葉を最後に息をひきとった」と話してくれました。
 全生園でのその時、その光の中に、その母の餓死した死姿を観たのでした。

 此の世では、父と母という二人の存在があって、私は生まれてきました。そして、この父母の生き様は、子の私にとっては、今生戴いた心への遺産です。
 軍部の配慮による父の不純な女性関係から、純粋の愛の心を持つ母は打ち壊されて、精神病者になりました。私の今生の遺産として、その父母の人生を引継ぎ、その敷かれた路線を歩んできました。
 単純に父を悪人と決め付けられません。それは、母が狂人でなければ、娘の私にあの無惨な死姿を与え、その真意を伝えられなかったと思うからです。
 それは、常人では出来ない姿でした。この世に生まれて戴いた悲しみ、苦しみ、その厳しさ運命を、まず、子供の時に体験させて戴いたことは、それからの私の魂の成長の為の土壌となりました。

 そうした経験があったからこそ、私は、全生園で、澤田神父様の「わたしについていらっしゃい」の一言により、あの方にお会いできたのでしょう。
 そうして44歳の時、1973年5月18日に、アメリカのデンバーではじまる、障害をもたれたという此の世的に重荷を負った方々との次々のご縁を頂くという、私のノン・フィクションの人生物語。「罪を溶かす愛」「罪を清める愛」というメッセージを頂いての行脚の今生です。

 この文の最後にこんな文がありました。
【1973年5月18日に、アメリカのデンバーではじまる、障害をもたれたという此の世的に重荷を負った方々との次々のご縁を頂くという、私のノン・フィクションの人生物語。「罪を溶かす愛」「罪を清める愛」というメッセージを頂いての行脚でした。】
 私の43歳の時に始まり、44年たった今、87歳です。そろそろという年です。
 その後半の44年間には、障害を持たれた方とのご縁を戴き、澤田神父様の「私についていらっしゃい」に始まるご縁もありました。







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