戦艦大和みたま祭
終戦と関わる思い出に戦艦大和があります。この8月には大和神社から「戦艦大和みたま祭」のご案内を戴きます。関西在住の鈴木則子さんに、このお祭りの参加と、取材をお願いしました。
大和神社「戦艦大和みたま祭」にお詣りをして
鈴木則子
大和神社へは「小さなうつわの会」の皆様と、もう何年前でしょうか、お詣りをさせて戴いて以来、初詣やちゃんちゃん祭など、中田さんとお詣りや取材に伺っております。
宮司様はとても気さくなお人柄で、いつも楽しくお話を伺ったりしております。
今日、8月7日は、大和神社の神事の一つである「戦艦大和みたま祭」で、初めて伺いました。今日も宮司様は、お元気そうで何よりでした。
拝殿
大和神社境内の前
戦艦大和の全長は363m、幅は38.9mだそうです。
大和神社の参道の一の鳥居から二の鳥居までが250mあり、戦艦大和とほぼ同じ長さだと宮司様より伺っておりましたので、いつも参道を通るときは戦艦大和はこの位の長さなのだと実感しておりました。
戦艦大和の艦内には大和神社の御分霊が祀られていたそうです。
今日大和神社へは明るいうちに着きましたので一の鳥居、二の鳥居などを撮影することができました。
一の鳥居
二の鳥居
宮司様から、せっかくお詣りに来られたのだからローソクに灯を灯してくださいとおっしゃってくださいましたので、私も一本のローソクに灯を灯してお祈りをいたしました。
祖霊社の前
すっかり境内が暗くなると「戦艦大和ゆかりの碑」のとなりにある祖霊社で「戦艦大和みたま祭」が宮司様の祝詞や玉串の奉納などの神事が執り行われました。
祖霊社の前のテントの中には20人ほどの関係者の方々が着席されており、玉串の奉納などが行われました。私も後ろの方に立って頭を垂れてお祈りをさせて頂きました。
戦艦大和ゆかりの碑
境内から参道に並べられた燈明
2016年8月7日 鈴木則子撮影
「戦艦大和みたま祭」から帰宅しますとちょうどテレビで戦艦大和が沈んでいる坊ノ岬沖で潜水艇での撮影の様子が放送されておりました。
逆さまに沈んでいる戦艦の姿がうつし出され、戦艦の舳に取り付けられていた菊の御紋がはっきりと、金色にそこに在りました。胸に何かがぐぐーっとこみ上げてきました。
戦艦の舳の下の方は丸くなっており、水の抵抗を少なくして速く進むように造られていて、その特徴が戦艦大和である証だということでした。
戦艦大和の全体の3分の1が無くなっており、深海の闇の中、その姿を見ることはできませんでした。
この戦艦大和と共に海底に眠る御霊に心からの慰霊の祈りをお捧げいたしました。
今日は戦艦大和への祈りの一日でした。
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