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 はじめに


戦争から 平和に・・・

 8月・・・. セミの鳴き声を聞くと思い出すのは、学校からの疎開で、新潟、糸魚川にあるお寺の境内で聞いたセミの鳴き声です。その日は、(1945年)昭和20年,8月15日の、終戦の日でした。私の育つ頃の日本は、戦争・戦争・・・・でした。
 まず、記憶にあるのは(1937年)昭和12年7月7日、盧溝橋で起きた日中戦争(支那事変)に始まり、若者が召集されて出征するのを、地域の人々と地元の氏神社でお見送りした記憶があります。其の後、戦争はますます激しくなっていきました。

(1941年)昭和16年12月8日の朝、太平洋戦争開戦。真珠湾攻撃のニュースをラジオで聴いた小学校の上学年だった私は、日本国の国民として、しっかりとお国の為に生きると決意した記憶があります。そして、戦争は続きました。
 日本軍の戦場での敗退については知らされませんでしたが、アメリカの飛行機が、住んでいた東京の上空を飛行、焼夷弾を雨のように落とし始め、空襲警報が鳴ると急いで防空壕に避難をする日々は、記憶にしっかりと残っています。

 1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲の夜の真っ赤に染まった夜空は、今でも私の脳裏に映し出されます。
 そして、1945年(昭和20年)8月6日、9日と、広島、長崎に原水爆投下。
 1945年(昭和20年)8月15日終戦。
 其の後、連合国軍の占領下の戦後が始まり、連合国軍の総司令部の監督の下に、「憲法改正草案要綱」が作成され、1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法は公布、翌年、1947年(昭和22年)5月3日より施行。

 その時のことは、私の記憶にはありません。憲法第九条の戦争の永久放棄については、学校の授業で教えて戴いたと思いますが、記憶にないのは、そうしたことに心を向けて考えることなど出来なかった日々だったからでしょうか。
 敗戦前の日本人は、神国日本の民としての誇りをもち、礼をもって、他者を大切にするように躾けられていました。そして、「お国の為に・・・」という大義名分の下、神国日本の思念をもっての戦いでしたから、戦争中は物資が無くなり不自由な生活になっても「欲しがりません。勝つまでは・・・」というスローガンの下、懸命に生きていましたが、敗戦後は、そのような健気な心は消え、物欲に心を奪われ、飢えた野良犬のように食べ物をあさる民達でした。

 職業軍人だった父は、戦後は職は無く、生きることに苦悩する哀れなその姿を見る10代後半の娘の私は、国家体制下の「神国日本の国民」「占領下の日本人」というような、何かにパックされるのではない、唯、「人」は・・・と考えていました。
 そして、何の囚われのない世界を探し求めて、「無」とか「空」とかいう言葉に心を向けた10代後半の私を思い出します。

 それは、この世の生への想いが無くなり、死に場を求めて彷徨っていた記憶です。
 戦後の物質的にも精神的にも混乱状態の時、社会主義、共産主義、自由主義という主義主張の行きかいに、私の飢えた心を一時は誘いましたが、やはりそれも、虚しく消えていきました。其の後、だんだんと、戦後の混乱の世情も落ち着いてきて、物質的に豊かな時代を迎えました。
 戦後あれこれと悩みながらも生きていた父は、あの世に旅立ち、心の安らぎを求めていた私は、良き家族に恵まれて、この世から離脱したかった心は消えていきました。

 今年86歳の私の人生の丁度半分の43年前の1972年、かつての敵国のアメリカに行き、そこで聴覚障害を持たれたご夫婦との素晴らしいご縁を戴きました。
 帰国後、夫の家族のご縁から、富士聖ヨハネ学園の陶工さんとの素晴らしい出逢いを戴き、視覚障害の津友子さんとのご縁から「小さなうつわの会」が生まれ、そうしたご縁を戴けた感謝文の「小さなうつわのメッセージ」を綴る日々です。
 現在86歳の年を経た老婆の思うことは、この世は、苦難、困難のご縁を戴ける素晴らしい魂の修業道場ということです。
 自分にとって「結構」だけの人生を望み、その通りだったならば、私は、自分勝手で、傲慢で、わがままで、感謝のない心で生きたことでしょう。

 戦争を身をもって知った世代の私は、戦争の愚かしさをしっかりと学びました。
 毎年、8月には、8月15日の終戦の日のこと思い、戦争について考えます。
 表紙に入れた憲法第九条の「戦争と、武力による威嚇武力の行使、永久にこれを放棄する。」という文を、8月15日には、改めて読み、平和をお祈り致しました。







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