おわりに
一本の蝋燭の明かり
戦前、戦中、戦後、と、86年。その歳月を戴いた私の今生人生。
一本の蝋燭に譬えるなら、命の明かりを懸命に輝かせ、間もなくその蝋も燃え尽きて終わる命です。
「兄弟への愛を行うということは、ことさらに、兄弟愛を行のではなく、光の心を自らの心に灯す一本の蝋燭であれば良い。」と「ヨハネ1の手紙」の中に書かれています。私たちいのちを戴いたものの努めは、光の中にとどまっていること、ただそれだけということです。
自分は光の中にいると言いながら自分の兄弟を憎む者は、
今なお闇の中にいるのです。
自分の兄弟を愛している者は光の中にとどまっており、
その人にはつまずきの元がありません。
しかし自分の兄弟を憎む者は、
闇の中にいて、闇の中を歩んでおり、
自分がどこへ行こうとしているのかを知りません。
闇がその人の目を見えなくしてしまったからです。
ヨハネ1の手紙(2:9〜11)
一瞬、一瞬、今を生きること、これが真理です。
今を生きれば、記憶というものはなく、現在、過去・未来はないのです。
ただ、愛と慈しみだけ。それが真理です。
「実在」それは、「或るもの」ではなく、「為す」ものです。
このことを悟って、始めて「平和」は来るのです。
「隣人」。それは、自分自身です。
戦後、孤独で、いつも「死」を思って彷徨っていた時、思いがけずクリスマスのミサの始まる教会の中に入って、出逢わせて戴いた1本の蝋燭の小さな光が、生きる心を與て下さいました。光の心を自らの心に灯す一本の蝋燭。明かりを懸命に守り、神様の祭壇の蝋燭まで運ぶおさなごの姿。その祭壇の蝋燭の火は、ひとりひとりの蝋燭に灯されました。
あの、クリスマスの教会でのキャンドルサービスに招かれた宵は、私の人生には、大きな出来事でした。昔々の事ですが、生きる真の明かりを戴いたクリスマスの御ミサでした。
全てが「おぼしめしのままに」、蝋燭が尽きる時まで、御心の光を灯せる様に「無原罪の聖母マリア様」に願いお祈り致します。
≫ 当『小さなうつわのメッセージHP(山梨版)』のURL(https://awa.rgr.jp.wiki.cgi)(別窓で開きます)
≫ 新『小さなうつわのメッセージHP(館林版)』(https://tiny-pot.com/)(別窓で開きます)
お問い合わせ等はメールにてこちらまで。
このサイトの内容のすべて又は一部の無断掲載や無断引用や無断印刷や無断配布を禁止します。また内容の編集・追記・改ざん・改変・一部削除等をしたものの引用や掲載や印刷等も禁止します。
また、このサイトの内容のすべて又は一部の掲載や参照や引用の許可は、内容の性質上、各頁の枠単位ごとにすべて別々に許可申請が必要となりますので、予めご了承願います。
各ページの著作権は、それぞれの原作者に帰属します。
【注意】 このサイトのリンクの登録は必ずhttps://awa.rgr.jp/wiki.cgiでお願いいたします。
(各頁への直リンクは構いませんが、更新の都合で予告なく各頁のURLが変更されます)
リンクを登録するときは、
こちらのバナーをお使いください。
Produce by FULTAIP.
0002563
+10,000,000 OVER(2021)