信仰への助言の詞
洗礼を頂いてからの数年は、毎朝、ある神社でヨガ行をされていた柴田様に誘って戴き、私もヨガ行をしてのその帰りに、柴田様の信仰についてのお話しを伺いました。
そうした内容をノートにも書いて下さいました。その中から私の心に残った文です。
人間の欲しているそのものは、自分の内に在るのに、人はそれに気付かない。
天国は、あなたのうちに在る。
天国の入り口に入れるのは、自己否定においてのみ。
本当のものは相対ではない。「今」を凡てとして受け入れて生きる事。
「我」は神が主体ではなく自分が主体であり、自己満足と不可分のもの。
「神を信じる」といわれていることの多くは、神についての話、又は神に関する書物にあるその事を受け入れ信じたということではないか。
本当に神を信じるということは、今、生きる一切の存在のカギをにぎり給う不可知の神との、ある出遭いを体験して、はじめていえる事ではないか。
一切の恐怖、迷信、信仰を心から取り除くこと。なぜならそれは、凡てでいます神に対する理解の不足であり、二元的な受け取り方。
今を生きれば、記憶というものはなく、過去、未来もない。愛と慈しみのみが在る。
それが、真理。真理は久遠であり、「今」の中に常住している。
「今」は、愛することであり、真実に生きること。
愛と慈しみのみが存在する世界とは、自ら自分の心を凡て内在の神にあけわたしたことを意味する。この状態においてはじめて今を生きたといえよう。
愛、慈しみ、それのみ。それ以外は自らの間違いで、作り出したもの。
心の乱れが起きた時、まだ解脱しきれないところに対しての神様からの警告。
謙虚に神に心を開いて、神に心そのものをあけわたすこと。
人はそれぞれに異なった旨命がある。まず自分にあたえられた旨命が、何であるか発見しなければならない。
人間は自分自身で作り上げた影響から、自分自身を解放する事。
そうしなければ、真の人間を自由にする真理を見出すことはできない。
自分の心を限定してしまえば、もう自由になれない。
捉われのない心だけが、真理を発見できる。
「善・悪」の知識という樹は、人間自身の心から生える。
「偏った自我」をもっての人間関係は、常に苦痛と矛盾とを伴う。
自分の過ちについて、はっきりと気付いた時に、人は自分の中に『無限なるもの』『愛されるもの』を見出す。
自分の心を限定してしまえば、もう自由になれない。
捉われのない心だけが、真理を発見できる。
祈ります。
「慈しみ深きみ光。捉われの無い心に、幼な子の心に私をお導き下さい。」
≫ 当『小さなうつわのメッセージHP(山梨版)』のURL(https://awa.rgr.jp.wiki.cgi)(別窓で開きます)
≫ 新『小さなうつわのメッセージHP(館林版)』(https://tiny-pot.com/)(別窓で開きます)
お問い合わせ等はメールにてこちらまで。
このサイトの内容のすべて又は一部の無断掲載や無断引用や無断印刷や無断配布を禁止します。また内容の編集・追記・改ざん・改変・一部削除等をしたものの引用や掲載や印刷等も禁止します。
また、このサイトの内容のすべて又は一部の掲載や参照や引用の許可は、内容の性質上、各頁の枠単位ごとにすべて別々に許可申請が必要となりますので、予めご了承願います。
各ページの著作権は、それぞれの原作者に帰属します。
【注意】 このサイトのリンクの登録は必ずhttps://awa.rgr.jp/wiki.cgiでお願いいたします。
(各頁への直リンクは構いませんが、更新の都合で予告なく各頁のURLが変更されます)
リンクを登録するときは、
こちらのバナーをお使いください。
Produce by FULTAIP.
0002561
+10,000,000 OVER(2021)