はじめに
12月 師走歳の暮れ
2015年も、はや、12月です。
年のせいかもしれませんが、月日の進みの早いこと・・・
幼い時の1日は、のんびりとして長かった・・・そんな頃を思い出します。
蟻の巣はどんなかな?と、1日中、庭の土を棒で突ついて掘ったり、庭にある大木によじ登って、中でも特別大きな樫の木に米俵の袋を吊るし、その中に入って日が暮れるまでもぐって遊んだり、夜は屋根の上に登って、望遠鏡で星空を眺めたり・・・。
それから80年を経ての今現在、脳の機能低下で、記憶は「瞬間蒸発」という症状の進行中ですが、幼い頃の思い出だけは、機能低下の脳の記憶から未だ蒸発はしておりません。
12月、師走になると脳にでしょうか、心にでしょうか、昔々のある日が浮かんできます。それは、昭和16年(1941年)12月8日の真珠湾攻撃により始まる太平洋戦争開戦。その日から、大東亜共栄圏の為という大義名分の下(もと)、私も神国日本の国民の一人として、お国の為に懸命に生きた時のことです。
昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲にも遭いました。学校からの集団疎開で、食事は殆どお湯だけのようなお粥をすすり、栄養失調になり、結核になり、微熱があっても、大和撫子の一人として、寝ずにお国の為にと頑張りました。
昭和20年(1945年)8月15日、集団疎開をしていたお寺のご本堂に置かれていたラジオから流れてくる終戦の御詔勅を、直立不動で拝聴しました。
この日この時の事は、白黒の動画の映像として私の心のフィルムに記載され、脳の映写機を回せば、すぐに写し出されます。
そうして、終戦後・・・。成人前だった私の心には、悲しくも哀れな、そしておぞましいこの国の世情でした。その時の思い出は、不鮮明の切れ切れの白黒のフィルムの動画として、心の奥に残っています。
集団疎開先から、焼け跡のまだまだ残っていた東京に帰りましたが、食べ物は無く、闇市での僅かな食料を家人が手に入れて何とか・・・。
そして、少しずつ日常の生活も立ち直り始めた頃だったでしょうか。戦時中には禁じられていた自由主義、社会主義、共産主義等の主義の解放。巷では「自由」「平等」と叫ぶ声が、行き交い始めましたが、一般の庶民は、そうした主義主張よりも、現実の物欲の巷の中だったと思います。成人前だった私には、そうしたこの世の動きにはついて行けず、心の灯を求め、暗闇の中を彷徨っていたことを思い出す、12月です。
『小さなうつわのメッセージ』作品集、クリスマス絵本動画『火を消さないで』は、その頃、私が出逢った出来事です。
そんな時代を思い出す12月。私の人世もそろそろ歳の暮れです。
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