作品集 『ライラックの垣根の家の物語』
1973年、5月18日の朝でした。私達一家はアメリカのデンバーというところに住んでいました。
娘を学校に送り出すので外に出ますと、家の前の芝生のところで娘は私を待っていました。一目見て何か悪いことをしたという様子でした。後ろに回した手の中には、隠しておきたいものがあるのでしょう。「後ろにあるものなぁに?」とたずねると娘は仕方なく見せてくれました。それは、隣家の垣根のライラックの花でした。「いただいたの?」もちろん、そうでないことは、わかっていましたが、尋ねると答えにならない答えが戻ってきました。「学校に持って行きたかったの。みんな持っていくんだもの。」
夫の研究の都合でアメリカに来たのは娘が6才の時でした。
それから2年、その間にある事情で2回も転校をしなければなりませんでした。娘のその答えにならない答えが、友達を求める淋しさの訴えとして受け取る心の余裕は、1ヶ月後の帰国を前にして、慌ただしい毎日の私には少しもありませんでした。「いいこと。黙って他人のものをとってはいけません。他人のことをうらやんではいけません。わかって!! 2度としないように。さあ、遅れるわ。学校に行きましょう。」
学校に車で送りこんだ後、娘の座っていた後座席の床に、ライラックの花が無惨な姿で落ちていました。
バックヤードにある車庫に車を入れて、家の中に入ろうとすると、隣家のスパークス夫妻がライラックの垣根の横に立っていました。夫人は、花を胸一杯に抱きかかえて、私を見て手招きをするのです。
瞬間、(さっき娘が花を盗んだことで呼ばれた)と思いましたが、にこやかに手招きする様子にすっかり子どものような心になって、隣の垣根に近づきました。
夫人は、洋服のポケットから手帳とエンピツを取り出すと、なにか書き始めました。書き終わると、横に立っている夫に見せて、二人で合槌を打つと、その文を私に読ませてくれました。
「ライラックの花があまりにもいっぱい咲いたので、近所の人がアレルギー性の鼻炎にならないかと心配している。」
それを読む私の表情を読み取ろうとする二人の視線を感じました。
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