
・・・8世紀から18世紀まで存在した北アフリカの「浴場」では、外部から寄せられる雇用に応じて収容所の外に出て行って、労働することを許していたのである。つまり、奴隷の一大収容施設であったのだ。労賃は、直接に奴隷に払われるのではなく、「浴場」を管理し運営するイスラム教徒に支払われ、「浴場」にいる全員の食費等にあてられていた。もちろん、管理人が最も熱心に従事したのは、与える食事の主と質を極度に切りつめて、自分のふところに入る部分を増やすことであった。
・・・シチリアや南イタリアの海港から拉致してくる人々は、この面でも有用だったのである。そして最後は、雇用創出という視点に立つならば最も重要な、海賊業に直接にたずさわる人々がくる。・・・
危険の多い職業ということならば、海賊も兵士と同じだった。敵側の船と出会って交戦中に殺されることもあるし、町を襲撃中に死ぬこともある。海賊船とて、嵐で沈没する率は低くはなかった。海賊は、成功して帰った後で手にする報酬も多かったが、リスクも多い職業だったのである。だがそれだけに、収益の5分の1収納される「首長」から船主から船長までが、能力ある人材の発掘には積極的であったのだ。
これはほんの1例です。単純に海賊という職業をもたねばならない社会事情があって、地中海は稼ぎ場所だったのでしょう・・・と、それ以上は?です。
北アフリカに接していた地中海、そして、海賊業の拠点としてのシシリー島は、地中海に浮かぶ拠点なのでしょう。始めはシラクサで、イスラム・アラブ時代には、パレルモが重要な中心となるのです。10世紀のころ訪れた地理学者の文として紹介されています。
「・・・世界中のどこよりも、自然環境に恵まれ、長い歴史をもち、それぞれちがう支配者に愛されてきたのがシチリアだ。
現在のシチリアには、あらゆる国から旅人が訪れ、交易商人が集まってくる。その彼らも、異口同音に賞讃するのだ。シチリアの重要さを、シチリアの美しきを、そしてここに住む人々と交易する有利を。イスラム世界の他のどこよりも、これらの利点が、人々をシチリアに引き寄せる。このシチリアの歴史のもつ魅力は、実際にそれを自分の眼で見た者には忘れがたい思い出として残るだろないか」
どうやらこのイスラム教徒は、同時代のキリスト教世界のエリートとはちがって、ギリシアやローマの異教文明にもアレルギーでなかったようである。
アラブ人はこのシチリアの首都バレルモに、一大トレード・センターを建設しただけではなかった。ビザンチン帝国による締めつけを嫌ってベルシアに逃げたギリシア人を通して知った、哲学、天文学、数学、幾何学、医学、のすべてを移植したのである。
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