【特集011】国宝『海部氏系図』が古代史を書き換える 伴とし子

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ヤマト政権の元は、古代大丹波(丹後)王国にあった

 日本といわれたのは、七世紀である。それまでは、倭国といわれた。2〜3 世紀の日本の状態を記した『魏志倭人伝』には、この倭の国には、30国あったと書かれている。女王国である邪馬台国には、卑弥呼という女王がいたという。卑弥呼の宗女トヨが卑弥呼のあとをついだという。
 そのことが、日本の正史とされる『古事記』『日本書紀』からは、非常にあいまいにされており、具体的な姿が浮かび上がってこない。それは、何故なのか。古代王朝が連続してきたのではないことは、もはや通説であるといえる。ならば、その最も初期におけるヤマト政権を担っていたのは誰なのだろうか。

 伝説、『古事記』『日本書紀』の伝える古代史、考古学、神社伝承に加え、国宝『海部氏系図』『海部氏勘注系図』を読み解きながら、この丹後に丹波降臨伝承があったこと、そして、ヤマトにはいっていった古代の海部氏がいたことをつげ、ヤマト政権の元は、この大丹波(丹後)王国にあったことを申したい。
 あらためて、大丹波(丹後)王国とは、豊受大神の国とは、どんな国であったのかを、また、海部氏族がいかなる氏族であったかを書きとどめ、確認し、さらに、その深淵に挑んでみたい。




「天の橋立の一字観」 伴とし子撮影




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